昭和45年11月29日 夜の御理解
今日は久冨先生のところの、あのうふみよしさんの十年の式年祭が自宅でありました。まぁ身近なおじさん兄弟ばっかり。先生がまぁ自分の子供のことですから、当たり前とはいいながら、もう一月ぐらい前から、そのことについては、もうえらい心を込めて、いろいろお願いなさっておられましたし、もう2、3日前から大掃除をしたり、もうホントに大変な色々心配ってなさりよりましたがね。
今日はあのう、上野先生があのう同道してってくれましてね、一緒にお祭りを奉仕させてもらいましたが、ホントに有り難い。兄弟達ももう今日は本当にもう有り難、有り難いようなふうでした。だから又皆で夕方お礼に出て参りましたが、そのただお勤めに出てきたといったようなものではなくてね、私どもにはない、ならこう言う様な事を機会に、一つホントの信心に、愈々なっていってくれれば有り難いことだと、まぁ願わして頂いたんですけれども。
今日あの朝から、繰り返し繰り返し頂きます事が、あれはあのう何ていう先生でしたかねぇ、今の俳句の先生がおられます。その方の句にあのう『春はゆく長いなれども然れども』という句があります。ね。「春はゆく長いなれども然れども」と。そしてそれに妻を亡くしたときに作っておられる。それでもうあのう一茶の句を、真似して作ったと言う様な事を書いてあります。
成程この口調から、一茶の句によく似ておりますですね。「春はゆく 長いなれども 然れども」。十年も詠った子供のなくなった。けれどもね、やっぱり人間は今朝から頂きますように、老少不定であり年寄りだから、若いからというて、ホントに障子一重がままならぬというのを、であるというこれが人間の実際の姿であり、またそれがここでは長いなれども、とこういっております。ね。
「春はゆく 長いなれども 然れども」。それでもやっぱり、悲しいことは悲しい。惜しいことは惜しかったというのでございましょうね。だから今日ふみよしさん亡くなられて十年になります。けれどもやっぱりそのう、あの子がおったら、と言う様な思いも、なおひとしおちゅう思いがなかっただろう。兄弟達もそんな感じがしただろうと、こう思わせて頂いたんですけども。
あちらに参りましてから、もう霊祭終わりましてあのう半ばにも、あのう頂くことが、やっぱり俳句を解するという人たちも、いないようでしたけれど、俳句ばっかり頂くんですよね。あのこれはあのう蕪村という人の句ですよね。『荒熊の掻け散らしてや 笹の雪』というのがあります。「荒熊の掻け散らしてや 笹の雪」。そうすっともう一つこれも蕪村の句で、『宿貸せと刀投げ出す 吹雪かな』というのがありますよね。
「宿貸せと 刀投げ出す 吹雪かな」。例えば荒熊があのう笹を道の中を駆け散らしておる姿が分かるわけですよね。そういう風情を句にしたのでございましょうけれども。それこそ荒熊ならずとも、めぐりが家ん中をかき混ぜるように、いろんな難儀が続いたりすることがありますよね。けれどもあの、信心を頂いておる、信心の道を会得しておるとです、そのことの中から不思議な有り難いもの、いや信心頂いておるおかげで、というものを感じとることができる。
俳句なら俳句の句心があればです、そういう荒熊の駆け散らしたその後に、そういう深い風情のある句ができるようなものだと、ね。恐らく刀投げ出すというであるから侍のことであろう。この山越えようと思ったけれども、もうこの吹雪には越えられない。仕方がないから百姓屋に飛び込んで、「宿貸せと 刀投げ出す 吹雪かな」と言う様にですね、もう恥じもなからなければ身分の上下もない。
とにかくもう刀を投げ出すことの方が先。と言う様にですね、私どもが段々信心のおかげを頂かしてもろうて、今朝から頂きますように。ホントに人間障子一重がままならぬ、人の身であるという自覚に立ったら、もう恥とか外聞とか言うておられん。もうホントにお取次を頂いて、神様のお働きを、力におすがりしなければおられないのである。ね。そういうことをまぁ今日は頂いたんだと思います。
その三つの句の中から色々と、御理解を頂きましたが、先ほど今篠原さんの話聞かせて頂いたら、私の友人でその方の姉さんでまだ私どもよりか、いくつか多かったんですが、昨日か一昨日か、近所の喜び( ? )とも呼ばれていかれたという方が、あのう昨日、明くる日ですが、その翌日ころっと亡くなられた。今日がそれのお葬式だったと聞かせて頂いて、ホントにあっけないなぁと思いますよ。
まぁだ60そこそこですよね。しかもうんなら昨日はそのうお友達のお友達、近所のお喜びにども、よろこそのう喜びにゆかれて、ね、恐らくまぁ手も叩かれただろう、歌の一つでも歌われたかもしれませんよね。それがあくる日は、もう子供たちが泣いておる。ホントに私どもはね、二日間頂かれたがたのご理解を、よくよく玩味さしてもろうて、ホントに障子一重がままならぬ人の身である自覚という。
その自覚にたっていわゆる、残された、いうなら余生というか、御用にお使いまわし頂けれる、その御用の使いまわしを、御用に使うて頂くぶりがようなからにゃいけんち。ね。とそこに喜びを持っていかなきゃならないというわけですけれど、今日久富先生のところの霊祭を仕えらして頂いて、まぁ一つ本気でね、なるほどこれだけ信心するのによ、よかごとなかったというて信心やめたら、それまでのものなんだ。
どうぞ一つ、これだけ立派な、やっぱ息子がそろうとるのじゃからね、そりゃなるほど、もうこじんまりとしたあのう住宅ですから、あのう調度品なんかも、子供たちの立派な調度品が置いてあってね、もうホントに楽しそうな家庭です。なら久富先生のところも。けれどもね、そんならあのう大きなお家に、ちょっとむかえに大きなお家があるんですよ。あげな家に住んじゃならんちゅうことはない。ね。ああいうお家にでも、例えば住まわして頂きよるほどしのおかげ。
いわゆる内容がもっともっと豊かなおかげ。ね。そしていわゆる信心のおかげで、と言う様なものを頂かないとです、御霊様もホントの意味で助からん。私のほうの弟が亡くなった。そのことも悲しいことだったけれども、もし弟が亡くなっておらぬ、戦死がなかったら、ひょっとすると現在の合楽は開けとらん。ね。と。言った様なことを話させて頂いてね(?継義)さんの死を、ホントに有り難いものに。
それこそ「春はゆく 長いなれども 然れども」というていつまでも、あのう弟がおったらとか息子がおったらということではね、御霊様が助からん。それともう一つ「荒熊の掻け散らしてや 笹の雪」を見て、そういう深い句ができるように、それこそ家ん中を巡りのためにかき回される様な事があったけれども。そこに一つのあり方信心、頂いとる有り難さが分からして頂いく様な、信心をどうでも頂かにゃいけんよっち言うてから、あの一番弟の大工しておった、もう全然もの言いませんもんね。
たら何かもう今日はここに来てから、もう思い詰めた様に親先生、今日から改めますち言うてから、ちぃたぁいっぱい機嫌の具合もあったごたるでですねぇ、所謂だから安男さん頼むよっち言ってっさ、まぁ申しました事ですけれどね。ホントに私共信心させて頂いてどの様な中にでも、信心の有り難さが解らして貰うと同時に、それこそ刀投げ出す吹雪かなであってね、もう一切の自分の見栄とか外聞は投げ捨てて、赤裸々にお取次ぎを頂いての、信心生活できれるおかげを頂きたいものだと思いますね。
どうぞ。
今日はね私また帰り、帰りの今日はあのう敬親会もありよるから、少し早めに切り上げてね、帰ってきてからこの新道まで出ましたら、ほんに上野さんが普請しよる所もすぐそこで、チョコっと聞いておりましたから、ひょっと見にいってやろうと思いましてね、それがおもしろい。そのもうお神様がお祭りする神床のことで、そのう大工さんとの間で仕事ができんでおるわけ、それを善導寺の原さんが、そのう私はもうたまがってしまった。この位ばっかりのところ、ちょうど1間とってある。
それをその真ん中に柱が立っとるもんですから、一様にとってあるのは、こげん狭いとですよ。それをあなたこう八足を作るなら、もうとにかく足ばっかりこげん長く足を作ってやらにゃ神様が拝める所に祭られんのですよね。こんな狭いもんですから。ですから私今日行ってからそれで。昨日はうんなら秋永先生なといってもろうてから、そのう具合よう座敷ですから、座敷の雰囲気も壊れちゃならんから。
あのう具合ようする様に行って貰うてと、所が昨日は来ませんでしたし、また前より日にあのう劇の稽古にしよりますと、なんやらかんやら、ガチャガチャいうて、この人がなんかちょっと文句言うたらしいんですよ、上野先生が。そんで今日来てから腹かいちから帰ったといって。そんで今朝からもうそれこそあの(?千恵子)さんが、もう涙ながらにですね、もうホントにもう、お父ちゃんがあんなこて、悩んでおる。
苦しんでおるというか、合楽はそのう、そんなことで腹かいて帰ったもんじゃけん。ただ、このお繰り合わせ頂くように、はよどうか指示せんと、もう、大工が仕事が困るわけなんですよ。それを今朝お届けして頂いておりましたから、もうほんのすぐそばですからね、あ、自動車が、これ、ひっくり返ってから、やらして頂きました。そしたらですね、敏男さんも、自分方から、ほんの今来たちゅうとこ。
大工さんもちょうどその日そこへ来て、ちょうどその神様のところの仕事をしようということですたい。だから私がね、そんなことはできんなんて言うちよったばってん、でけんことなかて。ここはこげなふうにしてから、下はいっちょ段ば作ってね、あのうこう開き戸か、あのこう、小さい建具を立てて、その上に神様をお祭りするとかっこよう、あのう八足もでき、あのうお祭りもできるから、座敷の雰囲気も、決して崩れはせんと。だから、そげなふうにしてくれち言うて、指図してきましたんですよね。
もう私が行きましたら、敏男さんのうれしそうな顔。私はびっくりしました。ほん、だいたい妙な顔してから、しとるんですけども、もうそのまんまにほっとしたんじゃないでしょうかね。あのうちょっと、お姉さんとなんかあってから、腹かいて帰ったり、またそのう、笛の稽古に来にゃんとに、来たら出遅れしたりしとるもんですから、何とはなしに、こう妙な雰囲気があったのですけれどもね。
あのうおかげを頂いてね、あのうそういうことにまで、こうおかげを頂いてから、まぁ恐らく敏夫さんも喜んで、公子さんはおりませんでしたから、千恵子さんが、今日は先生見えてから、こげん指図して頂いて、大工の仕事もできるようになったと言うたら、まぁ午後に(?コンパニオン、6時ごろ)来んじゃろうと思いますがね。まぁそういう有り難いお祭りの余波がね、そういうところにまで、今日はこう言った様な感じでした。
どうぞ。